今日の何某

@ry0uchangの頭の中を余すところなくひけらかしたい

人生(への考え方)について

小さい頃から弟とずっと話していたのが、世の中の「真理」についてだった。これは間違い無くそうだよね、という事を、それぞれの経験から導き出していく。例えば「たばこに百害あって一利無し」。両親がゴリゴリのスモーカーだった我々はその煙さや嫌な匂いを忌み嫌い、将来は絶対こうならない様にしような、と固く誓い合ったのである。しかしどうだろう、現在では二人共立派なスモーカーに成長してしまった。これもまた、真理である。「人の習慣は中々変えられない」という考えを新たに習得したのだ。…お互いに社会人となった今、以前の様な会話を交わす時間は無くなってしまったが、今自分が考えている事は正に「真理は真理では無い」という事である。世の中の人にとって、絶対に正しい、とされている考えがある。それに即して行動していけば間違い無い。例えば「正義である事が絶対」という事も、恐らくそうだろう、悪よりも正義になりたいと考えて生きてきた。その中で自分が近年考えている事は、そういった真理の中に、自分の考えは、感情は組み込まれていないのかという事だった。基準を何処に持つかは自分という一個体を通してのみ処理されているのであって、その真理も世の中ではなく自分というフィルターを通して正誤を判断している。そう考えていくと、真理という存在は真っ向から否定される。世の中という判断軸は最初から存在しないのだと。自らの考え、自らの取る行動が全てであり、周囲の人間や世の中という架空の存在を気にする余り、自らの行動を制限してはいないか。百年にも満たない自分というたった一人の、たった一度切りの人生を、自分の思うままに生きる事を誰に咎められようか。…と、こんな感じで最近物心が付いてきてます。

一夜漬けの鬼であった

物心ついた時から、まあまあ勉強が出来ていた。

学校のテストは平均80点以下を取った事が無かった。成績表も基本的には4か5で、順位争いも常に上位だった。田舎の小さな学校に於いて正にお山の大将だったが、それでも周りからは一目置かれていた。

 

ここで私が何故成績が良かったのか、その理由と最大の秘訣を述べたい所ではあるが、特に勉強をする習慣も無く記憶力が多少良かっただけである。記憶力が良い事に関しては幼い頃にこどもちゃれんじをやっていたからか、はたまた車中出産だった私の頭を母親がいきんで締め付けてくれたからかは分からない。

 

テストの成績は私にとっての存在意義であった。良い点を取れば褒められる。周りより優位に立てる。特段運動神経が良い訳でも無く、スポーツヒーローになれない私には勉強だけが唯一の取柄と言っても過言では無かった。運動が出来る者は運動会や部活の大会前にワクワクしてくるのだろうが、私にとってのそれがテスト前だったのである。

 

テスト前夜、私は茶の間に陣取り、テスト範囲である教科書やプリントを広げる。授業の板書ほぼ丸写しのノートも大事な教材だ。そして、傍らにはインスタントコーヒー。教科書の重要単語に引いたマーカーや赤線を頼りに、パラパラと流し読みをする。頭の中で見ないで復唱する。コーヒーをすする。小問題を解く。答え合わせをして、間違っていた所だけもう一度解く。コーヒーをすする。終わったら次の教科へ、また次の教科へと繰り返していく。コーヒーを淹れる。少し休憩を挟みおやつ等を食べる。コーヒーをすする。コーヒーをすする。再び気を入れ直し、コーヒーをすする。コーヒーをすする。すする。すする。すする。

 

 

 

 

 

な~んてことやってたら、コーヒー飲んでお腹下すようになっちゃったの~~~☆おったまげ~~~☆

 

 

 お題「コーヒー」

 

 

死が怖い

死が怖いのです

 

いずれやってくるその時が

 

死が怖いのです

 

誰もが迎えるその時が

 

 

 

その先には何があるのでしょう

 

私が想像するのは

 

全くの、無

 

天国地獄など以ての外

 

だだっ広い白い世界でもない

 

実体など以ての外

 

そういう概念が、無い

 

言葉が無い

 

 

 

だから私は恐怖しているのです

 

先が見えないから

 

何処に行くか分からないから

 

 

 

と、そんな事を申しておりましたら

 

彼女は私に向かってこう言いました

 

 

 

先が見えないなら、心配する必要なくね?

 

 

 

 

 

 

 

確かに〜

 

僕の哲学

結局の所、『人は自分本意』だ、という話です。

 

良かれと思ってやった事は、自分が良かれと思っているだけなんです。

 

人の心の奥底は知る事が出来ないし、その人から発せられる言葉が本当にその人の真意か?と言われれば、否。

 

 

 

でも人は信じなければなりません。

 

 

 

そして、信じると疑いは、表裏一体です。

 

あなたが信じると決めた時には、必ず葛藤があったはずです。

 

それこそが疑いの心です。

 

人として当然の心です。

 

 

 

こんなにシンプルな事なのに、世の中は難しくて、だから面白いなー